2014年1月23日木曜日

自分の大学受験を思い返してみました、という話






先日にはセンター試験があったようで、
世はまさに受験戦争真っ只中ってかんじなんですかね。
受験がすべてだとは思わないですけど、
本当に自分が行きたい場所があったとして、そこが受験をしないと所属できない集団なら
一所懸命受験に励むことはとてもいいことだと思います。


そういう僕はこの人生で、5回ほど入学試験を受けました。
中学受験が1回
高校受験が1回
大学受験が1回
大学院受験が2回でこれはどっちも落ちてます。



中学受験は親のすすめでしたが、高校も大学も行きたい学校だったので
望み通りの道をこれたというのは本当に幸せなことです。

今日は大学受験の話をメインに。




東京芸術大学音楽学部声楽科の受験とは

僕が大学に入ったのはいまから実に6年も前なので、
現在とはもしかしたら様子が違っているのかもしれません。

僕のころの芸大声楽科の受験科目はこんなかんじでした。


1次試験
歌唱(課題曲)

2次試験
歌唱(自由曲)

3次試験
ピアノ(ソナタ、スケール)、楽典、聴音、新曲視唱、コールユーブンゲン

センター試験
国語・英語




声楽科に入るための試験ですから、当然、歌を歌う試験があります。
歌の上手い下手が合否を大きく左右します。

1次試験は学校が設定している課題曲から自分で選択して歌います。
2次試験は自分で好きに曲を決めて歌います。

一芸入学みたいなものです。
ご覧の通りセンター試験は国語と英語の2教科だけなので(当時の声楽科はね。いまはわかりません)
高校3年にあがってからはひたすら実技と3次試験の対策をしていました。

僕の高校は単位制だったので、その制度を120%利用して
普通高校なのに週のかなりの時間をを音楽系の授業で埋めてました。
いま振り返っても幸運なことだったなーと思います。



この時期に、僕の人生のなかでもっともたくさんの音楽を聴いたと思います。
それもクラシックばっかり。東京にもしょっちゅう演奏会に行きました。
楽しかったなー。
周りの皆が英単語覚えたり、微分積分に青い顔をしているときに、
自分の好きなことばっかりやってたんですから。





鬼門は3次試験

歌は好きだったのでどれだけ練習しても苦じゃなかったですけど、
3次試験の対策はいやでしたねー。
おさらいすると、


ピアノ(ソナタ、スケール)、楽典、聴音、新曲視唱、コールユーブンゲン

ってことですけど、この中の「ピアノ・聴音・新曲視唱」がもう苦手で苦手で。
今でも苦手です。


ピアノは文字通り、ピアノを弾きます。
高校生からはじめたのでコンプレックスのかたまりでした。弾けないから。
曲を弾くのは、そこに音楽があるから楽しかったですけど、
嫌なのがスケール。

音階をね、3オクターブだか4オクターブだか、往復弾くのです。
低い音からドレミファソラシドレミファソラシドレミファソラ・・・・
で、一番高いところまでいったらまた戻ってきて、ドシラソファミレドシラソファミ・・・
最後はジャンジャンジャンジャーン!と、「カデンツ」という和音を弾くという。
これが全然上手くならなくて、案の定試験本番でも途中でとまりました。
もうちょっとやりこんでおくべきだったな、と今ならわかります。
だって、恥ずかしいですもん。いくら苦手とはいえ。



聴音、ってのはいまでもほとんど出来ない。音楽家として致命的という指摘もあります。苦笑
ピアノで弾かれたメロディーを、耳で聞いて覚えて、楽譜に書きおこすのです。

新曲視唱はその逆で、知らない楽譜を渡されて、初めて見てそのまま歌う、という。
この能力がもっと発達できたら、僕も音楽家としてもっと楽に勉強できるのになと思ってます。

楽典というのは、音楽に関係する理論のいろいろのことです。ペーパーテスト。
理論とかそういうのは僕好きだったので、ここは楽しんでクリアしてました。

コールユーブンゲンとは古い歌の教本の名前で、
その中の練習曲を当日試験場で指定されてパッと歌う、という試験。
これは曲を覚えちゃうまで練習しこんでおけば問題ないヤツでした。





いま、あの大学受験を振り返って

いまになって大学受験を振り返ってみると、不思議な気分になります。
間違いなく、僕の人生において、大きな転換期のひとつだったなと感じます。

田舎のダサい高校生で、ちょっと周りの人より音楽的なセンスがあったからいきがってましたが、
そのダサさとは別に、当時の、音楽が好きだ!という気持ちはとても純粋な物だったように思います。
いまの僕はあのころよりもたくさんのことを学び、見聞きし、
音楽家として生きることの厳しさも知り、音楽業界の衰退の影も肌で感じていて、
音楽との付き合い方はあたりまえのように変容しています。

音楽が好きという気持ちにかわりはありませんが、
そこにあるエネルギーの種類が、少しかわったような感じがします。

例えるなら、受験時代の僕は赤く燃える炎のエネルギー。
いまの僕は青白く揺れる炎のエネルギー。
どちらも熱い炎ですが、やっぱり質は違う感じがしますよね。



受験ごときで人生は終わらないぞ

という言葉を聞くことがあります。たしかにそうです。
ただ、こうも言えます。

受験ごときで、人生は変わるぞ

自分の大好きな道を見つけている人は特に。
受験の結果で、その後の人生に変化がある場合があります。
僕自身、芸大に行けてなかったら、ここまで音楽を続けていたか疑問です。



自分がどうしても行きたい大学があるなら、必死こいて目指した方がいいです。
必死になろうとおもってもなれない人は、冷静に考えてみてください。
本当にそこは心の底から目指している場所だろうかと。

僕は基本的に、大学ってどうしてもそこで勉強したいという人が行けばいい場所だと思っています。
最高学府ですから。学の府ですから。学が集まるところという意味ですから。
“遊府”じゃないんですよね、大学って。



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