2015年1月18日日曜日

プロに無償で仕事を依頼云々みたいなことについて考えてみた、という話






あー、今日のブログは長くなりそう。
お気に入りとかブックマークとかして、時間のあるときに読んでくださいね。



Facebookのタイムラインに「プロにお金を払わない仕事依頼について」
という記事がなんとなく散見しているので書いてみます。


ソプラノ川上真澄の音楽とバラがいっぱい、時々子育てブログへようこそ!
演奏に代金は払いたくないのか
http://ameblo.jp/cecilia311/entry-11978073271.html


どうしてプロに無償で仕事依頼しちゃダメなのか−原価のある、時間
http://d.hatena.ne.jp/goto-ahiru/20130207/1360241556





結構前にも、同じくFBのタイムラインに知り合いの知り合いが書いた記事が上がってきて
僕も二言三言リアクションをしたことがあります。



中村愛 ハープの弦は47本です。
『ボランティア演奏』ということ
http://ameblo.jp/meg-harp/entry-11754655210.html


この「『ボランティア演奏』ということ」という記事については、
こんなような考えを書きました。



難しいポイントですけど、ボランティアは人をタダで使い回せる免罪符ではないということだけ、いろんな場所での決定権を持っている偉い人には理解していて欲しいです。


(ボランティアは「自発的にするもの」という)“本来の意味から言えば”ちっとも難しいことではないんですよね。ただそれが「本来の意味」から逸脱した認識で、日本という国ではボランティアという概念がガラパゴス的に変質してしまっている。ここが問題ですね。特に日本の社会に於いて「お金についての話題はタブー」という雰囲気が根強く残っていて、そこに都合良く「ボランティア」という言葉が輸入されたので、発注者の立場に立つ人たちが「ボランティアはいいことだから無料当然でいいんだ=ボランティアで出てくれない?」がアリという理解になってしまっていることがある、というのが切ないです。




ボランティア、ということばを使えるのは、
行動を起こすその本人に限るのだ、というところだと思うのですがどうでしょう。




◆「無形だから報酬(or 経費請求)が難しい」は本当か。


で、僕としてはちょっと違った視点から考えてみたいんですけど。
例に挙げた記事、上二つでは

「手に職系の技術習得までにお金がかかってることが理解されづらい」
「(演奏は)形のないものだから、値段も付けづらく、請求もしにくい」

ということが書かれています。

問題提起としては、確かにいい指摘ですよね。
でも、それ言ってて、どうしようってんですか?



僕は必ず、演奏の依頼を頂いたら報酬の交渉をするか、
限りなく慈善的な活動に近い場合は、予算の確認をすることにしています。
ちなみに自分の経験や経歴になるようなプロダクションには
率先して「タダで使ってやってください!」と言います。



報酬の交渉をする場合には、まず

・譜読みや稽古などの下準備に必要な時間
・通う必要のあるレッスンや用意すべき楽譜などの経費
・稽古に付き合ってもらうピアニストの稼働経費
・交通費、衣装代など

を一応考えて、自分の中で概算を出してみます。
以上のようなかかるコスト(人的、時間的、金銭的)から、
自分の経験をプラスの価値として引いて、
残った分の3倍くらいをもらえたらいいなーといつも思っています。

でも、先方の予算もあるし、今後の繋がりとかもあると思うので、
その辺のバランスをよーくよーく考えて、ギャランティの額を決めます。

「不躾な質問ですけど、演奏報酬のご予算はおいくらぐらいですか?」
と伺った時に、まず先方が提示してくださった額が
自分の想定より多かった場合には「嬉しいな」と思ってそのままもらっちゃおうかな
とか思うこともありますけれど、全体的な経費はかからないに越したことはないので
(イベントを主催することが多いのでこの辺は主催者側の気持ちになっちゃう)
「そんなに多く提示いただいて嬉しいですが、今回の規模だとこれくらいでできますよ」と
自分で計算をした報酬額を再提案することもあります。

その上で、「それでも気持ちですから」と多めに払っていただいたり、
別途お車代をいただいたら、ありがとうございますといって頂戴します。


無形だから値付けが難しいって、嘘だと思うんですよ。
経費請求が難しいって、もっと嘘だと思うんですよね。


かかる経費は明らかじゃないですか。

その演奏のために準備する楽譜代。
練習のためにスタジオを借りるならその費用。
自宅で練習するならその稼働費用(ピアノ代の分割とか調律代の分割とか家賃の何%とか)。
練習ピアニストを呼ぶならその人件費。
自分が稼働することに対する人件費。

それらを数値化していけばいいわけでしょ?
楽譜の値段は買った時に決まっているし、スタジオ代も決まってる。
自分の部屋のピアノの維持費も決まってるから、
それを自分で決めた定数で割れば一回の本番で回収しなきゃいけない金額も出てくる。
ピアニストのギャラはその人に聞けばいい。
自分の時間に対して1時間いくらなのかは自分で決めれば良い。

あら簡単。

そうしたら必要経費、出てきますよね。

本番会場までの交通費とか、練習会場までの交通費とか、
本番に必要な衣装代とかクリーニング代とか、そういうのも明確に出てくるじゃないですか。


それを、合算して、請求したらいいだけなような気がするんですけれど・・・



で、もちろん一回の演奏依頼で、すべての経費をまるっと請求しちゃえなんて思ってないです。
重要なレパートリーになるような曲の楽譜だったら、
「10回演奏したら元を取れるぐらいの経費計上の感じにしようかな」とか
「今回は予算も少なそうだし、稽古場代は加算しないようにしようかな」とか
いろんなことを加味して、請求する金額を決めます。



確かに、技術職やクリエイター職っていうのは、販売するものが有形でなかったり
芸術的な意味合いが強かったりする分、金銭的な対価が発生するのだという認識を持たれづらいことがあります。

でも、「無形だから報酬を請求しづらい」というのは、売り手側に
「無形のものだから値段つけづらいよね、だって無形だし芸術だもん」という
後ろ向きな思いがあるからこそ起きる心の動きのような気がするのです。



無形でつらいなら、有形な商品みたいなフリしてみましょうよ。



まず演奏依頼をいただいたら、見積書を作る
これやっている人います?


効果絶大ですよ。
見積書を作るからには、準備段階でのコストや自分の人件費とかも
ちゃんとおのれで顧みないといけませんから。
その分、請求金額も説得力のあるものになります。
そこから先は、交渉次第です。

有形のもの売ってる人みたいに、僕たちも見積書作りましょうよ。
そして、ちゃんと請求書も出しましょう。
よっぽど効率的だと思います。
売り手も買い手もハッピー。







◆報酬の要求や交渉は、別の技術



クリエイターで多いと思うんですけど、
「いいものを作れば対価は自ずと支払われる」と思っているパターン。

ないです。
そんな虫のいい話ないですから。


なんのためにあらゆる企業に営業職がいると思ってるんですか。


物を作ることや、より上手に演奏をすることはとても尊いことです。
その質の高いアウトプットにたどり着くまでに費やしてきた時間や労力は
賞賛に値するものですし、それゆえにそのアウトプットは
対価が発生するにふさわしいものです。
それは間違いない。胸を張っていいです。


ただ、いいアウトプットができることや
クライアントに満足してもらえるようなパフォーマンスを提供できること、
その技術と、

ちゃんとお金を回収することは、別の技術ですからねっ!!!!!!

この辺、日本の音楽大学でもよーくよく教えていただきたい点なんですがっ。



自分がいい演奏をしたからって、ストレートに相応のお金をいただける何て思ったら大間違いです。
その前に、自分の価値をしっかりと提示し、見合った報酬金額を提示し、
それで折り合いがつかない場合はさらなる値段交渉をし、
それでも折り合いがつかない場合はそのお仕事をお断りする(それも次に繋がるようないい形で)
という仕事が必要なのです。



お金の話を面と向かってするのがなんとなく後ろめたいからって、
報酬提示や交渉をしないのならば、
その先で「報酬が少ない」だの「タダでこき使われた」だの言うのはフェアじゃありません。
単なる自業自得です。



なんども言いますけど、お金のことの交渉は、演奏技術やあらゆるアウトプットの技術とは
全く別の技術であり、それゆえ、それ専門のプロフェッショナルが用意されているぐらい
奥深くまた習得の難しいテクニックなのです。


この辺は、本当、トライアンドエラーを繰り返しながら、勉強するしかありません。
なんなら、販売業の講習とか受けてみると役に立ちます。セールスマンは偉大だ。








◆専門技術を無償で提供するなら"プロボノ"という言葉を使おう


ボランティアとは、

1、自発的に
2、無償で
3、人のために
4、自分の時間や労働力を提供すること

であります。

時間や労働力なので、携わる作業はなんでもいいのです。
街のゴミ拾いだってボランティアだし、様々な被災地での援助活動でもいいのです。
その中には、プロフェッショナルな技術を必要としないものがあります。
そして、逆にプロフェッショナルな技術を必要とするものもあります。


プロフェッショナルな技術を無償で提供する活動に「プロボノ」があります。

もとは、アメリカやイギリスにおいて、弁護士などの法律に携わる職業の人々が無報酬で行う
公益事業や公益の法律家活動のことを指したようです。


ということで、プロボノは

1、自発的に
2、無償で
3、人のために
4、自分の専門知識や専門技術を提供すること

となります。


ボランティア、というから、誰でもできる感がなんとなく漂うのです。
ボランティアなんだからタダなんだろ?感が漂うのです。
日本のボランティア感やチャリティ感を如実に表しているのは、
愛は地球を救うと謳う夏の時期に長〜い時間やってるあの番組です。象徴的です。



もっと、自らの専門性に誇りを持って、プロフェッショナルなものを提供したい。
ならば、その活動を「プロボノだよ」と名付ければいいのです。
名前を変えると実態さえも変わるように思えますね。なんて便利な手法なんでしょう。



自分の活動の中で、年に何十時間はプロボノを組み込んでみたらいいと思うのです。
その活動の中で、自分の高い専門技術が目に留まれば、
さらなる仕事の依頼につながるかもしれません。というか、つながります。確実に。








ちょっとまとまらないですけど、そんなことを思いました。
結論としては、

演奏家に「ボランティアで演奏してくれない?(交通費は出さないよ)」
といってくる人がいたら、

「◯◯さんはご立派な考えをお持ちですね!
 ぜひその慈善の心を大切にされて、
 私たちの演奏を適正な金額で買い、
 それを無償で人々に聞かせてあげたら素晴らしいですわ!」

と答えましょう。




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