2015年5月29日金曜日

「誰に聞いてもらうのか」をいつも意識できたらいいな、という話。





来週は中学校での芸術鑑賞会、保育園での音楽会と、
教育の現場での演奏が2回あります。

それに合わせて選曲をすると
「どういう曲が楽しんで聞いてもらえるのかな」
「どんなプログラミングだったら心に残る時間になるのかな」
といったことを無い知恵絞って考えることになります。

相手が子どもだからって、分かりやすい物ばかりや
流行りの物ばかりをやるというのも違うと思うし、
かといって演奏者の独りよがりのような選曲も違うと思うし。

共演者の知恵と経験に助けていただきながら
プログラムを決めていくわけですが。



誰に聞いてもらうのか、がこうやって明確だと
その人たちに響くもの、という指針でいろいろ決めやすいですよね。
自分のリサイタルする、とか、自分で演奏会を企画する、となると
「自分のやりたいこと」がまず前面に出てしまって


  • 誰に聞いてもらうのか


という点が曖昧なままプログラミングが進んじゃったりします。
東京みたいなクラシックファンもいっぱいいて、という土地だといいかもしれないけれど、
例えば僕の地元の山梨でそういうことをしてしまうと、
けっこうお客さんが置いてけぼりになってしまいます。
そうすると、聴きにいきたくとも行きづらい、みたいな企画になっちゃったりして、
演奏者もお客さんも、双方不幸な結果にいきついたりします。


その辺もちゃんと考察した上で、
「今回はやりたいことをやる」という舵取りはOKだと思うんですけれど、
マーケットのニーズを一切考えないで商品提供しても買ってもらえないのは当たり前だよね
って点だけは忘れないようにしたいなと思います。


かといって、偉大なプロダクトはマーケットの顕在化しているニーズとはズレた価値提供をして
その後爆発的に普及するという例もあるので、併合しすぎてもいけないですし。




何が言いたいかというと、
こういう学校公演のような機会があると
普段忘れがちな「誰が聞いてくれるのか」という点をきちんと意識できることが
とってもいい経験になるなーと感じた、ということでした。



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