2015年7月15日水曜日

ストリーミングサービスで音楽の価値は下がったのか!?という話。その3。




さて、月額定額ストリーミング配信サービスのあれこれについて書き始めて
3回目となってしまいました。
もうちょっと簡潔にまとめられるようにならないとなーと思いながら
長くなっちゃいます。


ストリーミングサービスで音楽の価値は下がったのか!?という話。その1。
ストリーミングサービスで音楽の価値は下がったのか!?という話。その2。


「その2」で挙げた3つのキーワードのうち、
テクノロジーの進化については触れましたので
後のふたつについて書き進めます。


◯経済情勢の推移が相対的な価格を下げた


前回触れたように、CD売り上げの最盛期は1990年代でした。
それは同時に、音楽業界のピークと言ってもいいかもしれません。


ところで、日本は戦後焼け野原になった国土の復興に際して、
高度経済成長を迎えます。また、1986年頃から1991年まではバブル景気があります。
戦後からバブル崩壊までは大きく見て、
景気が良くなって大きなインフレの流れの中に日本はありました。

インフレとはお金の価値が下がり、物価が上がることをいいます。
今まで100円で買えていたものがインフレで200円になると、
品物の価値は相対的に2倍になり、お金の価値は相対的に1/2になったと捉えられます。
レコードやCDの販売数が増えていく歴史は、日本の経済成長の時期と重なります。
1991年のバブル崩壊後もCDが売れ続けているのは、
音楽に対してコミュニケーションの素材としてのニーズがあったからですが
これはあとの章で触れます。

バブル崩壊後は不況に落ち込んで、途中ITバブルなどもありますが
リーマンショックなども挟み最近まで日本はデフレの状態でした。
デフレとは、お金の価値が上がり、物価が下がることをいいます。
さっきとは逆に、200円で買えていたものが100円に値下げされるとすると、
品物の価値は相対的に1/2となり、お金の価値が反対に2倍になったと考えられます。


戦後から今日までの日本経済を大きく捉えると、
インフレからデフレへ移行した歴史とも考えられます。
言い換えるとお金の価値が低い状況から、お金の価値が高い状況へ推移したのです。


そこで今回のテーマの話。

ストリーミングサービスの普及により、ミュージシャンやアーティストに支払われる
1再生あたりの報酬を、CD販売とストリーミングそれぞれで換算して比べると、
CD販売の時代とストリーミング配信の現代では、約1/5ほどに
インセンティブが減ったことになります。
これだけ見ると、報酬が減るんだから「やばい!!!」となりますが、
同時にお金の価値の推移も見てみると、傾向としては同じ流れを辿っているのでは?と思わされます。

※僕は経済を専門的に勉強したことないので、間違ってたら教えてください。


インフレだった日本社会から、デフレの社会へ移行するとお金の値段が上がり
相対的に商品の価値が下がるので、さまざまな物価が下がる。
音楽も1再生あたりに直すと、約1/5に価格が下がっています。


日経平均株価も見てみると、1989年の最高値が38,957円で、
現在は20,000円前後ですから、ざっくり1/2になっていますね。
ここでも円の価値が上がっていることがわかります。

日経平均株価が1/2で、音楽の商品価格が約1/5とすると、
実質の音楽の商品価格は本当にざっくり1/3ぐらいになったと考えられるでしょうか。
(数学苦手なのでこの辺の計算は適当です・・・)



なので、ここでの考察として
経済情勢が推移してきたことにより
アーティストへのインセンティブは実質1/3程度に減少した
という結論が導き出されます。
110円が0.16円と書かれると「え!!!それやばい!!!!!!」って
反射的に思っちゃいますが、
CDからストリーミングに移行したことで音楽の商品価格が1/3ぐらいになりましたよ、だと
そんなに突拍子もない数値ではないな、と思いませんか?




◯音楽商品に求められる役割が変化してきた


レコードやCDの最盛期は、ヒットチャートにどんな曲がのっているかが
学生などの主な話題でした。
そんな記憶、誰にもあると思います。

また、テレビやラジオの音楽番組で流れる曲をカセットテープに録音して
何回も聞いては覚えた、みたいな光景もあったと思います。
そのうちお小遣いを握りしめて、初めてのLP盤を買う、みたいな。

時代時代のアイドルやヒット曲をみんな口ずさんで、熱狂して
グループアーティストだと誰派かみたいなことで盛り上がり、時には口論し、
集団の中での話題として、流行音楽はかなりの比重を持っていました。
カラオケで何が歌えるとか、何が踊れるとか。

つまり、音楽を媒体に、社会がコミュニケーションをとっていたのです。
音楽の流通商品には、コミュニケーションの材料という側面もありました。
テレビを見ない奴、ラジオを聴かない奴は、いつもクラスのホットな話題の輪から
すこしだけ外れざるをえない、そんな時代もあったかと思います。



現在でももちろん、AKBやEXILE、ジャニーズ、その他もろもろ、
音楽がコミュニケーションの話題の中心になる場面もあるでしょうけれど、
SNSが普及した分、SNSでの出来事や、身近な仲間のゴシップなどを通して
コミュニケーションが進められる割合が多くなりました。
それに伴って相対的に、音楽の話題の量は減りました。


そのときに流行っている音楽を知らなければあるコミュニティとの話ができなかったという状況から
たとえ流行りの音楽を知らなくても、Vineやミクチャ上のホットな話題を知っていれば
友達との輪の中にいられるようになったのです。


その用途にコミュニケーションの素材という割合が減った音楽の流通商品には
より、その音楽性や、あるいはBGM性が求められる状況になりました。

音楽そのもののクオリティ、音のカッコよさ、詞のメッセージ力、
そういったものに深く潜っていき、より純粋な音楽の楽しみ方をするコアなユーザーが増えると同時に、
曲の雰囲気やノリの感じを重要視し、日常生活のBGMとして
音楽を消費するようなライトなユーザーも増えています。

特にストリーミングサービスは、物理的にCDやレコードをセットしなくていいため、
気に入った曲をリピートするのも簡単だし、あるいはたくさんの曲を頻繁に切り替えて流すのも安易です。
すべてデータとしてヒモ付けられているので、同じアーティストの別アルバムも
親指の操作ひとつで簡単に移動できるし、
今聞いているアーティストに関連した別アーティストの楽曲などにも
すぐに移動できたりします。
こういった仕様は、よりディープでコアな楽しみ方にも
よりライトな楽しみ方にも、どちらにも適した設計です。


コミュニケーションのための素材という役割は、音楽商品に対するニーズの中では
あまり重要ではないものになりました。
そのために「どうしても買わなきゃいけなかったもの」「どうしても知らなきゃいけないもの」
という切迫感が、音楽の流通商品から消えました。

けれどその分、その音楽商品の音楽性に、よりフォーカスが当たるようになりました。
ヒットソングだからとか、みんなが聞いているからよりは、
私が好きだから、気分がアガるから、作業用BGMに最適だからなどなど
個人対楽曲というより親密な空間の中で、音楽の価値が決まるようになりました。

これは、音楽に求められる役割が変化してきたことによって生じた事態です。





次回、まとめに入りたいと思います。



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